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事例:実家の長兄が単独相続すると言い出した

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相続人であるBさんには兄Aがあり、兄Aは、被相続人である両親と同居し、面倒を見てきました。

あるとき両親が交通事故で亡くなってしまい、遺産分割協議をすることになりました。

すると兄Aは、「両親の面倒は自分が見てきたのだから、俺がすべての遺産を相続する」と言い、準備してきた遺産分割協議書を見せ、署名捺印を迫りました。

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解決のポイント

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遺産相続には「寄与分」という考え方があり、民法に規定されています。これは、「被相続人(この場合はご両親です)の財産形成やその維持に貢献した者についての相続分の増額部分」であり、条件次第で認められます。

しかしこの「増額部分」は、「法定相続分」として確定した金額に対してのものです。

Bさんも被相続人の子である以上、法定相続分を有します。この家族構成の場合、原則として相続財産の価額の半分ずつがそれぞれの取り分です。

従って、Aさんに「寄与分」が認められる場合、相続財産価額からこれを除いた残額に2分の1を乗じた額がそれぞれの法定相続分となり、Aさんにはこれに「寄与分」が上乗せになる、というのが正しい理解となります。

そして、仮にお父さんの遺言書が残されており、相続財産を全て兄Aに相続させると書かれていたとしても、遺留分侵害額請求権を行使できます。具体的には、Bさんは相続財産に2分の1を乗じた額の2分の1、つまり4分の1については最低限、金銭での支払いをお兄さんに請求できることになります。

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問題の背景について

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戦争直後までの旧民法の時代には、「家督相続」の制度がありました。そしてこの制度には、農家や商家などの先代が残した有形無形の財産が、「代替わり」によって散逸してゆくのを防止する、という一定の社会的な意義がありました。

戦後の、夫婦を中心とした家族構成(「核家族」)を基本とする現在の新民法の下では、これが廃止された訳ですが、地方を中心に、まだまだ長子相続→分家という発想が一部残っているのも事実です。今回のようなケースは、このような発想が影響して主張された典型的なものの一つといえます。

旧民法では「長幼の序」が法制度にはっきりと現れており、そもそも戸籍制度からして、戸主一人に一戸籍の構造でした。そして、兄弟姉妹はもちろん、父親(家督相続後)、母親、祖父母、はては叔父、叔母までが「同居」という概念で同じ戸籍に記載され続ける、というのが当たり前の状態でした。家産の所有権もこれに対応しており、その見合いとして、「本家」の戸主が親族の面倒をみるのが当然のしきたりとなっていた訳です。これら全体が混然一体となって、日本独特の「イエ」制度ができ上っていたといえます。

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今日、地方出身の多くのサラリーマン、そのOBが頭を痛める「墓じまい」の問題も、実はこの同じ「イエ」制度に根ざしています。なぜなら、先祖代々の墓、あるいは先代の墓は、「檀家」の象徴だからです。高齢化が著しく進行する地方社会にあって、本家・分家のネットワークは、年一回の「法事」を通じて(あたかも会社の定時株主総会のように)相互の結束と交流の維持を確認し合う構造になっています。逆にいうと、その構成員がこの種の「付き合い」を体力的に続けられなくなるところから、従来型の地方社会の崩壊が始まることになる、ともいえます。

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ともあれ、一度(形だけでも)合意してしまった遺産分割協議は後で覆すことが難しくなるため、よく制度を理解し、必要に応じて専門家に相談するなどしてから協議に臨むようにしましょう。

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違算?争続?どうすれば・・・②(音信不通の妹を除いて「遺産」を分配)

違算?争続?どうすれば・・・③(兄ヨメが被相続人の養女になっていた)

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ご参考